石原です。
たまに、会話していてもうどうしようもなく楽しくない人っていますよね。
悪い人じゃないんだけど、一緒に話しているともう時計ばっかり見てしまう、つい他のことを考えてしまう、あぁ、誰か中断しにきてくれないかな。ムードメーカーの〇〇さんがいてくれたらな…みたいな。そんな相手。
私、前職の後輩の女の子がまさにこれで、彼女から週1で誘われるランチは毎回切腹の想いで挑んでいました。
一方で私が会話を楽しいと思える相手は、何もみんなマシンガントークというわけでもないし、芸人さんみたいに毎回オチをつけるわけでもありません。天才的な比喩や表現のセンスがあるというわけでもない。
だけど、なんで楽しいのか。ずっと話していたいと思えて、話し終えた後に充足感があるのか。
一般的にこれを「話がうまい」もしくは「気が合う」からだと説明されることが多いと思います。
でも、この表面をなでるだけのような考察では、この問題の本質にたどり着けず、解決へ導けないと思うのです。
だって、「話がうまい」からと言われて「じゃあ明日からうまくなります!」というのは難しいし、「気が合う」からと言われて「じゃあ明日から気を合わせます!」というのも難しいからです。
もう少し、この「話がうまい」「気が合う」を細分化していく必要があります。
「コミュニケーション」の定義を考えよう
少し話をずらし、「コミュニケーション」の定義を整理します。
会話はコミュニケーションです。
日本でもすっかりなじんだこの「Communication」という英語ですが、ただ単に「言葉を伝えあう」「気持ちを伝えあう」といった意味だと考える人が多いと思います。私もそうでした。
なんですが、前にある書籍で読んだ一文(何の本だったかは忘れてしまうのが石原クオリティ)が、私の中の「コミュニケーション」の定義を大きく変えることになります。
それは、
「コミュニケーションとは、双方の価値観や考え方に変化をもたらすことである」
というものです。
変化、です。
この「変化が起こらなければコミュニケーションですらない」という新事実は、私が日々考えていた「楽しい会話と退屈な会話の違いと、その理由」を見事に解明してくれたのです。
「退屈な会話」の2パターン
あくまで私の考えですが、早く切り上げたくなる「退屈な会話」には、ざっくり2種類あると思っています。
ひとつは、「話すことがない」パターン。もうひとつは、「話してるけど気持ちよくない」パターン。
「話すことがない」パターン
こちらのパターンは、前述した私の前職の後輩ちゃんタイプ。
といっても「知らねぇよ」って感じだと思うので、具体的にどういう会話が繰り広げられていたかというと、
・基本後輩ちゃんからは何も発信せず、毎回私が話を振る
・後輩ちゃんはその話に「同意」しかしない。(「そうなんですね」「なるほど」「へぇ~」など)
・私からの質問に答えても、それ以上は広げない一問一答のインタビュー形式
こんな感じです。
で、この特徴からわかることは、この会話から「私の価値観や考え方に何も変化が生まれていない」ということです。
後輩ちゃんが自分の考えや価値観、「私はこー思う!」を発信しない限り、後輩ちゃんの考えは私にインプットされません。
何もインプットされないのだから、当然私に「そういう考えもあるのね」みたいな変化は起こりません。
私が「私はこー思う!」を伝えても、後輩ちゃんは同意するだけで「でもこういう見方もあるんじゃないですか?」を言いません。なので私に「そういう考え方もあるのね」みたいな変化は起こりません。
私の質問に一言「Aです」「Bです」と答えるだけでは、よっぽど予想と遠い面白い答えでない限り、私に「そういう考え方もあるのね」みたいな変化は起こりません。
そう、この「話すことがないパターン」では、「相手を変化させるのに必要な最低限の情報発信量」が足りていないため、私には何も変化が起こりません。
つまりこれはコミュニケーションをとっているように見えて、ただの私の壁打ちになってしまっているのです。私が打つ努力を怠ったとたん、会話自体がなくなり凪の状態が訪れます。
変化がない、もはやコミュニケーションですらないので、コミュニケーションが持つ楽しさを感じられないのは当然です。
「話してるけど気持ち良くない」パターン
これはいわゆる「モテない男性」にいがちですが、「やたらよくしゃべるけど全然楽しくない、なんならちょいちょいイラっとさせてもう何も言いたくなくなる人」のことです。
こういう人の特徴に、「相手の意見を頭から否定する」があります。
「いや、それは間違ってる」「そんなわけないでしょ」「いや違くて…」「そうじゃなくて」「でも」「だって」
こんな枕詞を毎回つけてしまう人。
そして、鼻息荒く持論を展開し、相手を論破して勝手に「オレは賢い」と気持ちよくなってしまうタイプ。
言うまでもなく楽しくありません。
ただ、先ほどの「話すことがない」パターンに比べると、この人は自分の考えをしっかりと発信しており、相手を変化させようと努力しています。なのになぜ楽しくないのか?
単純に、変化が起こすのに失敗しているからです。
この人の持論がものすごく的を射たものであれば、相手には「なるほど」という変化が起こるのですが、
つまらないと感じている場合、聞き手は「なるほど」と思っておらず、変化していません。
つまり、「持論が的外れで説得力に乏しく、相手を納得させる実力がない」ということと、「聞き手を尊重して自分の意見に耳を傾けてもらう努力を怠っている」ということが原因で、この人は相手を変化させたくてもできていないのです。
「北風と太陽」という童話で、北風は旅人にビュービュー風を吹きかけ無理やりコートを脱がせようとしますが、旅人は寒くてより強固にコートを脱ぐまいとします。それと同じです。
それにプラスして、相手の意見を全否定することによりプライドを傷つけるため、話してて楽しいどころか嫌われてしまうという結果になるのです。
仮に否定から入ったとしても、その否定の仕方に配慮があるもので、持論に妥当性があれば、相手に変化が起こるので「楽しい」と感じるのです。
会話がうまい人は、必ず相手を変化させている
優秀な営業マン、セールスライター、No.1キャバクラ嬢、もっと身近だと友達が多い人気者に、上記の2パターンはいません。
相手を尊重し、自分も「そういう考えもあるんだ」と柔軟に変化しつつ、「こんな考えもあるよ」と相手を変化させるのです。
人は、コミュニケーションによって変化「したい」し「されたい」という欲望があるのです。なので、どちらか片方に偏っていては、お互いに楽しいコミュニケーションは取れないのです。
「何にもわかんないから全部教えて!私を変化させて!私は何もあなたに変化の素を提供しないけど」という人や、
「私が全部正しいんだからあなたは私の言うことを全部鵜呑みにすればいいの!私が言うとおりに変化してよ!なんでしないの!?」という人が、魅力的に見えないのは当然のことです。
で、ビジネスの面だと先ほど述べた優秀な営業マンや辣腕キャバ嬢なんかは、相手が「相互に変化したい人」なのか「自分が変化したい人」なのか「相手を変化させたい人」なのかを的確に見抜きます。
だから、「何にもわかんないから全部教えて!」という人には説得力のあるセールストークをして自分色に染めてあげて、
「私が言うとおりに変化してよ!」という人には、内心「何言ってんだコイツ」と思いながらも、「なるほど!そうなんですね!すごい!もっと教えてください!」と変化しているフリができます。
相手は自分の潜在的な欲望が満たされ、この優秀なビジネスパーソンたちを心底信用するようになります。
人は、「もっとよりよい自分になりたい」という向上心と、「リスクを取らず現状維持したい」という自己防衛のはざまで常に揺れています。
そしてこのバランスがどちらか極端に偏ってしまうと、「プライド」「意地」「惰性」「怠惰」といった副作用が出てきます。この副作用が、変化の起こらない退屈な会話の原因になります。
魅力的な人になるために、この「変化」に注目することは結構有効だと思います。
会話をしたあとに、お互いに「そういう考え方もあるんだなあ。視野が広がったな」という変化が起こるかどうか。
ある意味、特に苦労せずともこの変化が起こる相手が自分と相性のいい人なのかもしれません。
楽しいと思っている傷口をなめ合うような愚痴やゴシップ大会は、実はコミュニケーションではなくお互いに壁打ちしているだけかもしれません。
相手に楽しいと思ってもらえるため、自分が成長するため、生産性の高い人間関係であるために、対話には常にポジティブな「変化」を起こせるよう意識しようと思った石原でした。